プノンペンで見た虐殺の跡
本当はマレーシアから陸路でタイに入るつもりでしたが、ルートを変更して 先にカンボジアへ行くことにしました!
そんなわけでプノンペン国際空港へ!
イミグレ通ったらすぐ屋外だったし、感想は首都の空港がこんな感じなのって思いました。
ビザは空港でアライバルが取れます。申請書を記入して、30ドル(値上がりしたんだって...)支払ったらすぐもらえます。
飛行機がちょっと遅れてついたのが19:00くらい。
プノンペンはイメージ的に治安が悪そうだったので、早く宿にたどり着きたい!!
ってことでトゥクトゥクを捕まえます。
空港の敷地内にいるトゥクトゥクは値段交渉が難しいので、敷地を出て大通りにいるトゥクトゥクを捕まえると安く行けます。
プノンペンに来た目的はキリングフィールドとトゥールスレン博物館ってところに行くため。
この2つがなんなのか。知識が浅いので"地球の歩き方"を参考に簡単に説明すると...
1975年から1978年までポルポト派によって約2万人の人が虐殺されました。
キリングフィールドはカンボジア国内にいくつもあって、まだ発見されてないところもあるんだとか。
その中でも有名なキリングフィールドがプノンペン市内から南西に15kmくらいのとこにある"チュンエク"ってところ。
現在トゥールスレン博物館になっている場所に拘置されていた人々が、このチュンエクに運ばれて虐殺されたんだって...
まずやってきたのはキリングフィールド(チュンエク)
入場料は5ドルで、日本語のオーディオガイドが付いています。
慰霊塔の中には無数の頭蓋骨があって、撃たれたような穴があいていたり、殴られたようにヒビ割れていたり...亡くなった時の状況がわかります。
ポイントには看板と番号が書いてあって、オーディオガイドの説明を聞くことができます。
説明はすごく丁寧で世界中から訪れた人がガイドに耳を傾けていました。
多くの遺体がここで見つかったんだって。
すべて掘り起こされたわけじゃなくて、雨季が過ぎると骨が出てきたり、掘り返したりすると衣類の端切れとかが出てくるそうです。
キリングツリー
赤ちゃんの足を持って、この木に叩きつけて殺したんだって。
理由は大きくなって復讐されないように。
ここで虐殺しているのがばれないように、この木にスピーカーをぶら下げて大音量で流していたそうです。悲鳴とかが外に漏れないように。
最初は銃殺とか、食べ物に薬を混ぜたりしてたけど、銃弾や薬で殺してたらきりがないので、農具とかで殺すようになったらしいです。
農具とかだと一度 殴っただけじゃ殺せないから、何度も何度も殴られて、まだ息があるのに遺体で埋まった穴に落とされ 苦しみながらなくなってったんだろうなって思うと苦しいです。
次に訪れたのはトゥールスレン博物館
キリングフィールドに運ばれる前に収容されていたところです。
なんで虐殺が行われたのかっていうと、知識人を根絶するためだとか。
ポルポト派が知識人と認めた人が、政治犯が収容される施設に送り込まれました。
手が綺麗だから肉体労働者じゃないはずなので知識人
メガネをかけてるから知識人
教師や、医者などはわかるけど(いや、わかんないけど)理由も意味わかんないし、理不尽ですよね。
もちろん政治的犯罪なんて犯していないので、そのほとんどが嘘の自供書を作られたりしたそうです。
建物の内部は撮影禁止だったので写真はありませんが、中には鉄製のベッドに手枷や足枷が付いていて、床は染み付いていました。
当時のままを残そうとしていて、拷問の様子など目を背けたくなるような写真もたくさんありました。
収容されていた人の写真がずらーっと並んでいて、その写真に映る人と目を合わせると
怖くなりました。
収容されていたであろう房はとても狭くて、トイレもなくて、衛生状況は最悪だったんだろうなって感じられました。
この収容所の所長が終身刑判決を受けたのが2012年のことらしく、昔のことじゃないんだってことを改めて認識しました。
キリングフィールドとトゥールスレン博物館に行ったものの、どうしても想像がつかなすぎて逆に冷めてしまい、また怖くなりました。